●母島部活堂 活動レポート2021

母島部活堂は2020年から地域力を上げる為に精力的に活動してきました。

このページではその活動の詳細をメンバーがレポートして行きます!

過去を頑張って思い出しながら、徐々にアップして行きますので、お楽しみに♪

2021年12月 島と島で語る「天売島to母島」

「ショックの時間」母島観光協会 山岸李花子

 

今回の対談について、一言でいうのであればとても良い意味で「ショックの時間」だったと言えます。大変お恥ずかしいことですが・・以前は“天売島”という地名を伺ったことがありませんでした。その観点からいうと今回の対談を機に天売島の存在について知れたことは、まず一番に挙げられる収穫だと感じています。また、お話を聞いていると私たちが住んでいる母島との共通点が出るわ、出るわ。しかも、人口272名や島のサイズ周囲12kmに関しては母島よりも小規模で交通の便に関しても母島と匹敵する点、そこからまず驚きと同時に強いシンパシーを感じました。しかしながら、言ってしまえば私たちよりも小さい島で人口も少ない秘境の島にも関わらず観光促進としてのご活躍はその比較より何十倍、何百倍と大きく、力強いもので、観光促進の歩みを確かに進ませている印象に大きな“ショック”を受けました。

その大きなショックを語るに、今回の対談で一番衝撃を受けた点、天売島の皆さんにとって原点・きっかけとなったという「海士町視察」のお話が欠かせないと感じています。ジャイアンさんが対談中にもおっしゃっていた通りその時の「人」や「タイミング」にもよるかと思いますが、事実、同じ経験(視察)をした地域にも関わらずこうもその後の行動に違いがあるのかと齋藤さんのお話中、眉間に皺をよせて伺っておりました。その点から、まず自身の島の活性化に大きな“伸びしろ”があると感じています。例えば、次回より視察後は村内で報告会の場を設け沢山の人に聞いて・感じてもらう(次の新しい行動に繋げるきっかけとなれば、なお良し!)、またその報告会は動画として記録、誰でもいつでも見返せる場、YouTubeなどでアーカイブとして残していく、などは身近な規模で行っていけることなのではないかと思いました。その他にも、子供たちの交換交流の活動やその際の齋藤さんの“島外の子供たちには島の魅力を、島の子供たちには他の地域の魅力を知ってほしい”という考えはまさに長期的視点での地域(観光)活性化に繋がるものだと考えます。実際に今後母島と天売島の皆さんで“中学生交換交流会”のような場を設けその交流会の一部を撮影、PR動画として配信するなど、うまく軌道にのれば追々島外からの応募など定例化、子供たちの交流は島の一つのイベントとして確立することなど、次世代の島力活性に繋がる場として考え始めたらまさに無限の可能性だと思います。

 

 この度の座談会を通して、観光を介し地域を活性化していくに欠かせない考え方について学ぶことができました。主に大きく分け3つあります。一つ目は「時には離れて物事を見ること」二つ目に「現実を知り危機感をもつこと」、最後に「自分一人だけでなく、いかに周りを巻き込めるか」ということです。

天売島のおらが島活性化会議の団体が発足した一番のきっかけは「海士町視察」だったとのこと、それまでメンバーの齋藤さんは島を変えたい気持ちはあるけれど具体的にどうすればいいかわからない悶々としていたと仰っていました。海士町視察を経て“まずは行動してみること。”を強く意識はじめたという齋藤さんのお言葉が印象に残っています。その点から「時には既存の考えから離れて物事を見ること」が新たな道を切り開く鍵にもなるのだと感じました。

二つ目に「現実を知り危機感をもつこと」は、同じく斎藤さんのお言葉から学んだことです。海士町視察に行った齋藤さんはその海士町での経験からあまりにも今まで自分たちが何もしてこなかったと痛感したそうです。現状に満足している者は変化を望まない、現実を知り変わりたいと危機感をもつことが踏み出す1歩に繋がるのだと思います。

最後に「自分一人だけでなく、いかに周りを巻き込めるか」については、実際に同じ視察先に行った私たち母島と天売島の皆さんの視察後の行動の違いから強く感じました。小さな力でも数が集まれば大きな力になるという諺のように、一人でできることは限られているため良い経験・刺激を受けた後、その波紋をより広く周りへ繋げることが地域や観光の活性化に重要なのだと改めて考えさせられました。

以上のことから、この度の座談会で学んだ考え方を活かし更なる地域・観光の活性化のため今後の業務に取り組んで参ります。

 

 

互いに小さい島ですが、今回の対談を通して離島生活はどんなに物理的に距離が近くても心の距離があるのであれば、それはあくまで個としての灯で点在するだけ。天売島の皆さんのようにより確かな想いで変革へと繋げるには、島だからこそいかに周りの灯を巻き込め協力してもらえるかどうかも欠かせない要素だということを改めて考えさせられました。改めてこの度は貴重な機会を賜り本当にありがとうございます。

 

配信アーカイブはこちら

2021年3月 「東京11島交流座談会パート2」レポート

●「東京宝島メンバーを集めて11島サミット?それって母島部活堂でやる意味あるの!?」

1年間活動を続けて、より母島内で理解を深めていこうと目標が定まった今年。

まず母島部活堂のメンバーの多くから言われた意見がこれでした。

そちらについては後半に触れます。 

 

3/13に東京11島の2回目の座談会を実施して、会として大成功を収める事が出来ました♪

お忙しい中、沢山の島の方が集まってくれて、

各島の取り組み、色んな島の場作り、葛藤、課題について共有できました。

11島の島+αの皆さんが集まると、こんなにも可能性が拡がるなんて☆

皆さんのクリエイティブさに、感動しっぱなしでした(*^_^*)

 

画一的にみんなが同じになる必要はないし、できない。

各島の人たちが自分の島の未来を考えて行動を起こしている。

それが成功するかどうかよりも、その過程にやはり意味があると感じました。

 

東京宝島事業が島にやってきたときに困惑した話、

島の子供が巣立ち、そして戻ってくるときの話、

島で事業を立ち上げるという話、

島の十代に書いてもらったアンケート結果、

沢山の話を聞く事が出来ました。

島ならではの難しさも伝わりました。

 

自分の島の参考になることも多く、

すごく元気を頂く対話が多かったです。

参加してもらった方たちからも、嬉しいコメントを頂く事が出来ました。

本当にありがとうございました♪

 

●まず、今回は参加人数が過去最高の31名の参加という大きなイベントになりました。

東京11島だけでなく、屋久島や、鹿児島の竹島、内地からもぜひ!という豪華メンバーでの実施となりました。

第1部はYoutube live配信で公開し、

島の人がよく伝わっていない東京宝島事業の簡単な紹介、

父島、新島、式根島の取り組みの紹介を行いました。

 

とても上手くいってそうな島でも、

コロナ禍で軌道修正をしたり、

色んな葛藤があり、今は軌道に乗っている、そんな話も聞けたりしました。

他地域の事例や葛藤を知る事で、自分たちの島を客観的に見る目線が生まれます。

そしてそれを母島の人たち、島の場作りに興味がある人に観てもらいたい!

そんな、とても意味のある第1部でした。(こちらはアーカイブでご覧になれます)

 

 

●第2部は配信を止めて、非公開でトークしました。

4人から6人のルームに分けて、それぞれ自由にトークをしました☆

 

とても放送できないような内容のルームもあれば(笑)、

建設的な意見が飛びかうルーム、

内地や屋久島などのメンバーから新しい提案などが発生するルーム、

島を超えて空き家の流動化について話したり、

たった2時間でしたが、関わる人達の混ぜ合わさる奇跡がどんどん生まれ、

ひとつの島だけでは思いつかないような発想や可能性が沢山生まれました。

 

アフタートーク「かずぼーの部屋」ではなんと午前2時までトークが続き、

11島で一緒にできるアクションや、

島の子どもの進学や教育の問題、

宝島事業のぶっちゃけ話、

海の環境を考える、海洋ゴミの問題で展開を提案(プラスティック製の洗濯バサミ→アルミ製にするプロジェクト)「ゴミ箱」を「護美箱」と変えることによる、意識改革などが話し合われました。

 

 

●そして、冒頭で話された部分。

なぜこれを“母島部活堂でやる必要がある”のか。

 

去年9月に実施した東京11島・島嶼座談会の時に「3月頃に11島座談会2回目をやる!」と予告しました。

まずはその予告通り実施したのが理由のひとつです。

 

また、一番の理由が地域づくりに大事なエッセンスである【客観性】を得ることでした。

島の中であれこれ話し合っていても、時には堂々巡りで議論が進展しない場合があります。

そんな時に新しい光を灯すきっかけが、客観的な視点で見つめることで、

いいアイディアが生まれたり、話が活発化する、そんな狙いがあります。

公開は第1部だけですが、発信して自由に観れる事でその部分をねらいました。

 

そして、僕が大事にしたいもの。それが【ご縁】です。

今回、宝島事業と関わる事で、本当に多種多様な多くの人とご縁で結ばれることになりました。

これに参加することで新たなご縁をつなげていきたい、そんなおもいがありました。

今回は参加規模が大きくて、なかなか一般の母島島民のトークへの参加はありませんでしたが、

「Youtubeで見たよ~」と言ってくれた島民もいて、そこに有意義な部分を感じることができました。

母島の運営メンバーがそれぞれ他島の人と交流できたのは、母島にとっても大きな意味があったと思います。

 

こんな機会でもない限り、七島寮(東京の島の子供が進学用に用意された内地の寮。現在はもうありません)の島をまたいだ先輩や後輩の交流もなかなかなかったと思いますし、今後他島に伺う時に知った人がいる島にお邪魔するというのは、とてもワクワクするご縁に感じます♪

 

以上の理由から、この交流イベントを母島部活堂でやる意味があったと思いました。

これは実施した後も手応えとして感じています。

逆に母島部活堂以外に、誰がこれを今やれたのだろうか?とも思います。

 

そして、今後はどんどん母島内でトークを深めていけるような母島部活堂を実施していきます。

その際に今回のご縁でゲストとしてお招きして話す場面があるかも知れません。

次世代不足、子どもの進学、医療や介護、色んな共通のテーマがあるのですから。

 

これからも人と人がつながって、未来を創造する活動を続けていこうと思います。

 

本当に御視聴、ご参加ありがとうございました!

(ジャイアン/母島)

 

2021年2月 「おいでよ!ガジュ下へ」のレポート

天皇陛下の代が変わり令和に入ってから、天皇誕生日として2月23日が祝日となった。

母島に行くと明らかに、気候や、風土が日本ではないはずだが、内地と同じく「祝日」だということに驚かされる。

そんな祝日の夜に、いろんな人とフラットに話をした「第2回:母島部活堂」。

 

「島の人も、他島の人も、内地の人も、母島を身近に感じることができて、チームとか、組織とか、そんなことは関係のない1つの家族のような、みんなが笑顔になって終わっている」。それが今回の母島部活堂が終了してからの印象だった。

 

2021年度の第1回が1月に終わり、第2回目となった。

今回は、ジャイアンではなく、カズボーが場の進行を務めた。開始5分前になって、ぜぇぜぇと息が上がりながらガジュ下に向かっているカズボーが写し出されて「すいません!間に合わないかも・・・」と開始時刻ちょうどに会は開始された。

 

最近のカズボーの気合の入り方がいい意味で、学ぶところが多くある。間違いなく、現在の母島部活堂におけるソフトバンクの千賀のようなエースだろう。受けるキャッチャーの女房として、ジャイアンがどっしりと構えるように見える。

 

とにもかくにも、ナイスコンビである。

 

会の冒頭は、カズボー&ジャイアンの簡単な挨拶からはじまり「なぜ母島部活堂が立ち上がったのか、今やっていることや新聞について」を話した。中盤では「これまでの振り返り」を西田・小熊の両者が、掛け合い漫才のように会をなめらかに進めていった。

 

正直、これまでの報告なのだがスピーカー陣が和気あいあいと進行しているせいか、自然とチャットボックスも賑やかになったように思う。見ているこちらが、心があたたまっていく。

 

1月の第1回と今回の第2回で“場”の雰囲気がバージョンアップされていたのが、開始10分で感じることができた。1時間ほど報告を行ったあとは、後半戦。

 

やはり、オンラインの会は、聴いているだけではなく遠くにいる人と喋れるというところが魅力の1つだ。後半の導入部分で“場活師”泉一也の10分スピーチがあり、ブレイクアウトルーム(小グループ)に分かれて、共通項探しゲームをしながらディスカッション。

メインセッションの画面に戻るとすべてのグループで「全然、時間が足りなかった!」とコメントが上がった。「不満足そうな声」の中に参加者全員の笑顔があり、充実したグループセッションだったということが画面上から伝わってきた。各グループの振り返りでは、母島部活堂のエース・カズボーが涙して画面を見られないなんていうシーンもあった。

 

ここまで一所懸命にやってきたからこそのエースの涙であると思った。

 

総合的な振り返りとして、「『母島部活堂』が母体としてあり、そこから枝分かれのように分科会がどんどん生まれていけば面白いのではないか」という声があった。

逆に「いつまで続くのか・・・」という冷ややかな声もあったりしたが、これは新しいことをはじめるときに必ずあることなのではないだろうか。

 

逆に、そこへフォーカスせずに、それよりも「続かなかったらどうしよう?」という懐疑的な目を持つのではなく「まずどうやってこの会を存続させるか」というところに方向性が向いているのが部活堂の進化を感じた瞬間でもあった。

 

それはまるで、キャンプファイヤーのようにくべた薪にどんどんと火が燃え移っていっているような。間違いなく、焚火とかそういった可愛いものではなく、大きな木を燃やしながら火がメキメキと燃え上がり、会話をしている様子があったのだ。

 

こうやって、キャンプファイヤーを囲みながら、誰もがフラットに語れるのが「母島部活堂」の強みであろう。今後、少しずつ島の人たちの認知も進み、内地に帰っていった母島の関係者の人たち、強いて言えば、母島に来たことがないけど強く興味があるという人がいたら、どんどん受け入れて欲しいと切に願う。

 

「母島に興味・関心がある誰にでも開かれた“場”」

母島の人間ではない私が、この目的が一貫しながら進化し続いていくことを、この母島部活堂に望んでいる。

 

(2021.2.26 母島部活堂/ 奥 祐斉)

 

 

※第1部のみYoutubeで公開しています!

2021年1月 場活体験塾のレポート

いよいよこの宝島事業の母島の取り組みがスタートしようとしていた昨年。

新型コロナウイルスが爆発的な広がりを見せ、「人と人とが集まって気楽に話せる場を作りたい!」なんてことを言っている場合じゃなくなってしまった。そんな中見つけたZOOMというツール。最初は懐疑的な声もあったが、やってみたら距離にして数百メートルしか離れていない島内の人から1000キロ以上も離れた海の向こうの人たちまで簡単に話す場を作れてしまったじゃないか!

と、言いつつも何について語り合ったらいいだろう⁈わけもわからず手探りでやってきた11月、話すことにやっと少し慣れてきた我々に「新しい章へすすみましょう!」とニコニコしながら厳しい一言を投げつけた泉さん。

2か月かけて何とか第二章への準備が整いお披露目のはずがまさかの延期に…。

 

そんな中、泉さんが3月に来島し場活体験塾を開催予定だったこともあり(非常事態宣言延長の為延期になりました)、急遽で企画した場活体験塾の体験編。

初の試みの、前半公開、後半非公開というスタイル。私も数名には声掛けしたもののどうなることやら⁉とドキドキしながらいつも以上に緊張しながら当日を迎える。

 

会が始まり、前半の1時間は場活のプロ、泉さんによる「場活とは何ぞや!」という講義の時間。短いながらもスピーディーかつ分かりやすい中に母島や母島部活堂のことも織り交ぜたお話で、普段、話すことを何の気なしにやっていた私は「あー!これってきにしてなかったけど言われてみれば確かにそうじゃん!」の繰り返し。気づいたら画面にくらいついてあっという間の前半戦。

 

「母なる場」「トレーナーとコーチの違い」「レールが無いから説明しづらい」「N対N」「mustの脳」「わらしべ長者」「意識下の体験」「HOME&AWAY」「共通点と親近感」「ストーリー」これだけ見ても???でしょ!?面白いからYouTubeへGO!

休憩をはさんで後半戦へ突入!

 

事前に声掛けした数名しか新規さんの参加はなかったけど人と人との距離を縮める自己紹介からのスタート。それぞれの紹介に共通点があって、場も盛り上がりあっという間に時間が過ぎる。

最後に少しだけグループトークをしたら終わりの時間を迎える。

 

2時間という短い時間だったが、初体験の方々にとっては有意義な時間になったように感じた。

「海賊王」いうネーミングで参加してくれたシャイな方、「聞くだけでもいいんだから、とりあえずきいてみたらいいのに!」と言ってくれた初参加の方の声。第2章突入を迎えて初めて緊張MAXでの参加だったが、気が付いたらいつも通りの心地よい終わりを迎えることができた。

 

おまけ

21時からの恒例になった「かずぼーの部屋」。いつになく深い話になり、過去最長記録を更新する…。(2021.215/かずぼー)