隔週刊 母島部活堂コラム

こちらのコーナーでは母島部活堂のメンバーがリレー式でコラムを書いていきます。

基本的に前に記事を書いた人が次の人のテーマを指定し、記事を書きます。

できる限り、2週間に1コラム更新予定です!(現在、遅れ中ですm(__)m)


●コラム06「母島部活堂の春」2021.5.18

 

新年度になり、様々な物事が移り変わっていきます。

狭い地域の母島では春の公務員の異動や卒業など、とても大きなイベントです。

自然界も冬に沢山見れたザトウクジラ達が北の海へ移動をはじめ、春の花や、夏野菜の作付けなど、色んな場面で春を感じさせます。

そんな新しい風が吹く春が僕はとても好きです♪

 

さて、去年の春から精力的に活動を続けてきた母島部活堂。「島の未来を語る場を作りたい」という基本コンセプトの元、想定外のコロナ禍でできる事として、オンラインでの座談会を重ねてきました。夏休みは子ども達向けのタコ捕りを島出身の若者と企画したりしてきました。

 

今年度は去年培ってきた活動をさらに母島の人たちに浸透させるべく、活動を深くして行こうと思っています。

この春のミーティングで話された基本方針は

 

・母島でオンラインでなくリアルに話し合う場を実施していく

・母島にとって、地域力活性に必要なテーマで学びのオンライン講座を開催していく

・場活塾を継続的に実施していく

 

この3つを中心に動いて行こうと思っています。

 

 

早速5月に「ふるさと検討会」とコラボして、リアルな座談会を企画していましたが、東京都の緊急事態宣言の発令で延期になってしまったりしていますが、できる範囲にできることを実施していこうと考えています。

 

オンラインで参加しにくい島民向けには母島部活堂新聞を発行し、伝えていこうと思っています(現在作成中)。

また6月中旬には場活堂の泉さんらが母島に来島し、リアルな場活塾を実施する予定でいます。

 

新年度になって色々バタバタしていますが、

少しずつ活動していき、発信もしていきます。

 

母島がみんなが健やかに暮らせる島であり続ける為に、

これからの島の未来を本気で話して動いていかなければいけないと感じています。

 

他地域の例から学べることも、

どんどん学び、

少しずつ廃れてしまっているものを見つめ直し、

大事にしたいものは守り、

変えていこうと思うものは変えていく柔軟さが必要だと思います。

 

どうぞよろしくお願いしますm(__)m

 

(母島/ジャイアン)

 

●コラム05 「母島と、その他の島との違いについて」 2021.3.29

 地球を飛び廻るオッ君(宝島事務局・奥君)の軽やかなコラムから、受け取ったバトン。頂いたお題は「母島と、その他の島との違いについて」。

 

 「島」の話の前に、ちょっとだけ私の故郷の話を。。。

「島」といえば「海」!・・が、私の故郷は、3000m級の山々・日本の屋根と言われる北アルプスの峰々を頭に四方を山に囲まれた飛騨高山(海無し県:岐阜県)という小さな盆地。標高は700m以上で、小笠原の有人島の最高峰・母島の乳房山(462.6m)よりずうっと高地の民だったらしい(笑)言葉から妄想する世界に近い「海」。汐の香りのイメージもない。でも、これまた日本の背骨と言われる・分水嶺が近くにあって、日本海・太平洋の2つの海に分かれて向かう降水たちのスタートラインであったりもする。だから深い山の奥座敷にあって実は、海に全く縁が無い訳ではなく、しっかり繋がっているようだ。

 海に縁といえば、幼い頃に不思議だったのが、どう見ても見渡す限り山々のこの地を「陸の孤島」と呼ばれる件。近年は随分と交通の便も良くなって、そこまでの「孤島感」も無くなったけれど、小さな頃は、どうして海もないのに島?、陸続きでも島?しかも「孤島」って?と。。。「島」繋がりの余談でいえば、同じく海無し県の長野県にも山々の谷間に「島々」とか、はたまた「川中島」なんていう「島」が付く地名もあって、それもおかしな気分だった。

 

 ところで、そんな山猿の私も、数えると25島(日本で)ほどの島に降り立たせていただいた。(ようやく、「島」の話になりそう😅)

橋で繋がった島や、桜島などもその内。島の定義、分類などというのも様々あるようだけど、ここからは、あくまで私の(絶対的主観での)島の話になる。

 

   「島」といっても、どれも同じではない。

 

島が一様ではないというのは、島の成り立ち、立地や、島の形状、潮の流れ、気象など、、それらの条件が島によって違う事からだ。そして、それぞれの島が現代までの歴史の中で、担った役割、または様々な役割を得られ難かったという事も含めた位置づけは、この条件に大きく影響されたものと言っていいだろう。この辺りを興味深く思う私。

 

   条件如何によって、その島にどんな未来がやってくるのか。 

クドイようだが、この条件は島の未来を左右する大きなものであり、それぞれの島に与えられる宿命だと感じる。

 

 例えば、条件から考えると、島にたどり着く事に対して(人間で)は、、

日本のメインランドから1000Km以上離れている小笠原諸島は、国内のアクセスとしては当然容易くはない。一方、島といっても今は通勤通学すらできる距離感の島もある。

 

しかしまた、メインランドからさほど離れていない立地の島であっても、潮の流れが厳しかったり、島の周囲が断崖絶壁だったりと、歴史が流れても変わらず、たどり着くには難しい島もある。

 

 また、島にたどり着くことができたとして、、

 

島の成り立ちから、豊かな土壌や水に恵まれたり、暮らしのために適した地形、それこそ潮の流れ・海の恵みを活用できる島もあれば、やはりそれには合わず難しい島もある。

 

 更に、その島で生活すること以外の価値でいうと、、

 

これまでの歴史でも、立地のために戦争の要所となったり、罪人の流刑の地となったり、はたまた国というものに縛られず世界の航海の要所にあったり。。

 

学術的に稀少だったりする島のあらゆる対象物、または島自体も貴重だったり。島自体といえば、近年、島周りの海底資源や漁業、外公的権威など国のEEZという観点からの島の重要性も強く謳われる。

とちょっと考えただけでも様々に島の運命が展開されている。

 

条件によって、人間の思わく、欲求を満たせる島になるかならないか。島とは海というある意味、障害ともなるものを隔てて、来るものも、来ない事も、どのような形であっても受け入れていく運命の場なのではないかなとさえ思う。

 

 そういった意味で母島を捉えれば、他島との違いとして絶対的に大きいのは、「この島の立地」ではないかなと私は思う。厳しい航路も安全な船を作り、航海技術も発達させ、生命線の基盤の桟橋や堤防も作り、更には空路を開き、人間の知恵や熱意によって事情が変わった島もある。小笠原の航路も大きな安定した船となり、大抵欠航もなく定期的に運行され、天然の湾はそれを支える。しかし日本に返還されて50年以上経過した現在も小笠原に民間の航空路はなく、母島に来るためには船を乗り継いで丸一日以上の航海が必要というのは、この立地によるところ。これは現代に於いてはかなり特異な事だと思う。

 

 

 

 ここで、他島との違いについて少し話は変わるが。

 島が好きなのかと言われれば、好きだと思う。でも特別に島が好きというよりは、私には地方や田舎が好きなのと同一線上なのかなと思う。自分も田舎モンのくせに、、いや田舎育ちだからこそなのか、特に故郷を離れてから田舎感を好んで求めていた気がする。でも今、その田舎はとても貴重だと思っている。地方創生云々のためか、地方の中小都市は、中心部から少しはずれの車で行ける距離に、大きな道路を主軸に、大手スーパー、ショッピングモール、外食のチェーン店、紳士服、大きな家電販売店、コンビニ、ガソリンスタンド等々がパッケージ化されていて、何処に行っても同じ街に見える様相。田舎に於いても利便性を高める、都市化のような流れ。。。だが一方で、田舎に対しては、その田舎なる地域が進もうとする方向に対して、「田舎の魅力を生かして」と、田舎以外からの価値観の声が聞こえてくる気がする。

わかる。。とってもよくわかってしまう。

 

これは島でも同じだと感じる。

私も旅が好きで、田舎や地方の伝統文化風俗などに興味が湧くが、今も残っている田舎の不便さ、辺鄙な土地ならではの稀有なものほど、残して欲しいと思うからである。本心である。しかしこれは、そこに暮らさない旅人という外の人の感覚の思いである。その地域その場所の魅力を活かせるならば生かして、豊かに暮らしていきたいと多くの人も思うだろう。でも田舎なる魅力を生かすコトによって、その地域に暮らす人々が不便で、豊かから遠く大変な暮らしをしなくてはならないとする。その地域の田舎らしさは素晴らしい魅力なのだから、理想の田舎像として残すべきで、そこに暮らす人々は住むからには我慢さえもすべき事だと、そこに暮らしていない人は考えるかもしれない。でも、誰もが少しでも豊かな生活を送りたいと考えるように、田舎に住む多くの人も少しでも豊かに暮らしたいと考えるのは、欲求を追求し続ける同じ人間としてはごく当たり前。そして、それがどんな価値のものであっても、人が生活を営み生きるという事は、いつの時代もこのジレンマの中にあるのだとも最近は感じる。だとしたら、、このジレンマに結論を下すのだとしたら、それを決断するのはその地域に住んでいる人でなければならないと深く思う。

 

この島を、島の人が誇りに思う島であり続けるように、

どうしたらいいのか、何ができるのかを大切に暮らしてしていきたい。

私にとって母島は、他の島とは違う。それは旅人のように外からの感覚で見る島では無く、家族と暮らしを営んで感じる地域の「島」になったから。唯一の別物の島だから。

(母島/みやぎようこ)

 

 

●コラム04「世界の島々から見る、母島」2021.3.9

 

小関さんから「世界の島々から見る母島」というテーマで、バトンを受け取ったので書いてみます。現在も旅をしながら、あちこちで働く30歳。16歳から、日本各地を飛び回り、大学時代は、狂ったようにバックパッカーをしていました。

 

さすがに、この1年は海外には行けなかったですが、合計すると100カ国、もしも北朝鮮、ソマリランドなど謎の未承認国家を含んでも大丈夫なのであれば105カ国の国々をバックパック1つで渡り歩いてきました。

 

世界には、国連連合に加盟している国193カ国あるので、まだ半分しか行ってない計算になります。そのうちの47カ国が島国とされているので、単純な計算で世界の約5分の1が島だそう。言わずもがな日本も島国であり、6,852もの島で形成されています。

ちなみに、下に掲載したオレンジ色に塗りつぶされた国々を訪れました。

母島の動植物を見てもそうですが、島は、独特な固有の生態系を見せてくれます。

これは世界のどこの島に行ってもそうでした。さらには、人も同じかもしれません。母島も含めて、島には個性的で人間味溢れ“大切な何か”を守ろうという人たちが住んでいると思います。そして、会話や対話を重要視しているように思いました。

 

旅の中で、特に印象的だった島国を5つあげるとするならば、パプアニューギニア、サモア、キューバ、東ティモール、アイスランド。そして母島です。

 

 

今日は折角なので、その国でのちょっとしたエピソードを書いてみようと思います。

 

パプアニューギニアには、少数民族が、顔に泥を塗りたくるマッドマン。ワニや猿などを食べる民族など、800以上の部族が各地に点在して住んでいるとされています。

 

パプアニューギニアでは、水木しげるさんの書いた漫画を読んで、ずっと行ってみたかった「ラバウル」という場所まで行きました。僕は、写真の彼らと蛸取りならぬ、雲丹とりをして遊びました。海の生き物を子どもたち集団で取って遊ぶというのは、全世界共通なのかもしれません。

 

そこには、ツカツクリという火山灰の熱で卵をふ化させる鳥が住んでいて(世界一美味しい卵と言われている!)この卵を島民から分けてもらって、その卵をゆで卵にして食べたときの美味しさはカスタードクリームを食べているかのようでした。

サモアでは、満員のバスに乗っているとお相撲さんのようなふくよかな女性が私の上に乗りなさいと膝の上に乗せてくれて、優しくホールドしてくれたこともありました。あたたかなビーズクッションでした。逆に、僕が赤ちゃんを抱っこして1時間バスに乗るということもありました。

 

日本では、ありえないことが海外では起こり、さらに人への信頼感や距離感が日本とは全く違うなと思ったことを今でも鮮明に覚えています。

 

 

 

そして、キューバ。社会主義を今でも貫く、この国は80年代の車が今も現役で走り続け、チェ・ゲバラは英雄として今も祀り上げられているのが印象的でした。モヒートを片手に、現地の美女から情熱的なタンゴを教わり。路上で、スペイン語がわからないのに、アメリカに対する愚痴を現地人から聞きました。

 

数年前に訪れたアジアで最も新しい国である東ティモールは、完全に先進国が介入したことで起こってしまった分断でした。ティモール島には国境があり、東ティモールでは、キリスト教を崇拝しテトゥン語とポルトガル語が公用語、西ティモール(インドネシア)では、イスラム教を信仰し、インドネシア語が話されていました。

東ティモール自然農法で育てた珈琲と島のおばさんが御馳走してくれたティモール料理は、格別でした。

 

そして、北にある島で景色が違うアニメに出てくるような星だった、アイスランド。

ドラゴンボールに出てくる世界かのような、この世の果てかのような世界がそこにはありました。グミがあるのですが、それだけは吐きそうになるほどまずかったです。

 

そして、母島。「この島は日本ではない。別の世界だ」。1番最初に訪れたときに感じたのを昨日のことのように思い返すことができます。ここは父島とは、また別世界でした。

3回目の訪問時に、大きな虹が現れたこと、部活堂のメンバーとガジュ下で朝まで飲み明かしたこと、原付で転んでずっと腕にラップを巻いていたこと。すべてが忘れ難い経験になっています。世界から見ると、とてつもなく小さな島なのに、訪れるとその大きさに気づく。豊かな島でした。

 

中毒性があって、また行きたくなってしまう。それが母島の魅力です。人が生き生きと暮らしています。

 

母島と父島で友人離島が2つになっているのは、以外とここだけの話ではないです。

 

前述した東ティモールで私の大好きなアフリカだと、サントメ・プリンシペという島国は、サントメ島とプリンシペ島でサントメ・プリンシペであるし、前述したサモアも、サモアと米領サモアで分かれています。

 

アジアにあるブルネイも、マレーシアのボルネオ島内にある小さな国であります。

欧州では、アイルランドの内部にある、北アイルランドや、イギリスでは、スコットランド、イングランド、ウェールズの3つのユニオンが集まってグレートブリテン北部アイルランド連邦=イギリスなのです。中米だとドミニカ共和国は、ハイチと分離しているので有名です。

 

どの島国の分裂も外からの外圧や戦争、植民地、それらによる宗教ならびに民族対立が大きく影響しているというのが、悲しい事実でもあります。

 

母島と父島は、仲良くやってほしいなと心から願っています。笑

 

次のコラムバトンは、母島のようこさんへ。

「母島と、その他の島との違いについて」をお願いしたいと思います。

(内地/奥 祐斉)

●コラム03   「私にとっての母島部活堂とは」2021.2.24

 今回のバトンは、ゼッキーこと小関耕紀です。

 2019年5月に、島内の友人から1本の電話がかかってきました。

内容は、島の事を考える事業があるので参加してみないか?と言うものでした。参加の意向を伝えるとすぐにメルアドが送られて来てメルアド登録。

 6月に担当者が来島してワークショップを設定するので、入港日に行う登録説明会に必ず参加すること。との事。ちょっとカチンときました。入港日の夕方から集まれ!とは、何を考えているのか?島の事を考える事業なのに、島の事情も知らずに一方的に上から目線でスケジュールを押し付けてくる、何を考えているのか?が最初の印象でした。

 その後のワークショップも観光ありきで、来てもらう観光客の客層まで設定済み、それ以外の客層は、考えずその人達がどうしたら喜ぶかだけを考えるワークショップ。参加した人達は、大人なので素直にワークショップに参加したけど、終了後口を揃えて、まただね、いつもこうだ、もう誘わないで、の声。

 私は、島に来て初めてのお誘いだったけどお役所仕事は、こんなもんかと思った、出来レースと!知り合いを誘っても参加しない理由がみえました。これは、続けられないな、と思いながらも今夜皆さんで飲みながら話をしましょうに、お酒の誘惑に負けて参加。

 そこで、直接顔を突き合わせての長い話合い。このままでは次回は無い、と伝えると必ず調整して島民目線の事業とするのでとの事でした。なんと次回から、その通りとなり今に至っています。

私はその思いを信じて東京都宝島事業、母島部活堂に参加しています。まだまだ形になっていない母島部活堂ですが、形となったらもしかして母島部活堂は、終わっているかもしれませんね。そうなる日まで母島部活堂!続けていきたいと思います。

 

 次回は、奥君お願いします。お題は、「世界の島々から見る母島」でお願いします。

(母島/ゼッキー)

 

コラム02 2019年開始当初の母島の宝島事業について 2021.2.14

 

バトンを受け取りました「nao」こと、後藤直哉です。

 

母島には2019年6月に初めて訪問しました。母島はもとより、小笠原へ行くこと自体が初めてだったので、おがさわら丸に乗り込む瞬間から期待で胸が高まっていた記憶があります。父島到着の日の朝、おがさわら丸で目が覚めてデッキから見た景色と感動は今でも忘れられません。

 

さて、「開始当初の母島の宝島事業について」ということで、当時のことを思い浮かべながらお話したいと思います。小笠原到着初日はすぐに父島から母島に移動し、宝島事業の事業説明を行いました。集まっていただいた母島の皆さんへ準備した資料を手に想定しているターゲットや事業概要を説明した際、母島の皆さんの反応は若干薄かったように記憶しています。その後、私は父島と母島を担当しておりますので両島をオンラインでつないで同時開催ワークショップを行いました。いま考えると、これも少し無理があったのかなと思います(汗)。そして、ホームページ内「母島部活堂とは」に記載があるように、母島から意見書が届くと言う事態になりました。

 

次回の訪問は8月末。その間、宝島事業の事務局サイドでは様々な話し合いを行いました。ここで私が感謝しているのは、従来であればこのような取り組みの場合基本的な考え方や方針、コンセプトはなかなか変えることはできません。しかし今回の事業においては母島の意見を尊重すると言う方針が事務局側から出され、それに基づいて私たちは改めてターゲットや目的を設定することが可能となりました。この方針決定は本当にありがたかったです。

 

そして8月の訪問。改めて母島にて宝島事業についての話し合いを行うことになりました。今でも忘れませんシャワー室での話し合い、その後メンバーで星空を見に行き、お酒を酌み交わし、徹底的にこの事業に対しての考え方を話し合いました。ガシュ下で夜中まで話ができたことも本当に心に残っています。

 

その後の経緯はホームページ内「母島部活堂とは」「これまで」の記載の通りですが、私が2年間で最も印象に残っているのはこの2019年8月です。正直言うと、事務局側と母島側の考えていることはそれほどズレていなかったが少しずつボタンの掛け違いがあった、それを時間をかけて本音で話し合い、ボタンの掛け違いを修正したという印象です。母島部活堂の活動にも通じる部分ですが、時間をかけて話し合うことの重要性を感じた瞬間でもあり、この話し合いが無ければ母島部活堂も存在しなかっただろうと思っています。

 

今は少しずつではありますが、形になってきた「母島部活堂」。徹底的に話し合いながら物事を進めていくと言う取り組みは、今後の地方創生の在り方という意味でも非常に重要な取り組みであると考えています。

 

2019年は合計3回、母島へ行きました。2020年は・・・行けませんでした。2021年は、あの青い海と空、そして母島の皆さんにお会いできる日を楽しみに、母島部活堂の活動に少しでもお役に立てるよう頑張っていきたいと思っております、よろしくお願いします。

 

それでは次回のバトンは島へお返しして、本事業開始当初から参加いただいているゼッキーこと小関さんへバトンを渡します!テーマは「私にとっての母島部活堂とは」でお願いします(^^)

(内地/nao)

 

●コラム01 母島部活動HP開始!! 2021.2.4

母島部活堂として動き出して1年。
ついにHPが出来上がりました!

 

去年の今頃は浜松町の島嶼会館に元母島島民、巣立ちした島っ子たちを集めて、内地準備室を行ったのが懐かしいです。

こちらについては後日、レポートしていきますね(*^_^*)

本当に有難うございました。

 

この東京の島々11島で行われている東京宝島事業の中で、母島のアクションプランは島内向けで、とても異質です。

だけど、そこにとても大切にしたいという想いが集まり、今の母島にとって本当に解決したい問題はこれなんだと、しっかりと意識化することができました。

 

2020年の春から本格的に活動して来て、ほぼ毎月の部活堂を続けてきましたが、本当に場が活性化して来たなと感じます♪

2019年の秋に場活堂で泉さんに出逢った時の感動は間違いではなかったです。

関わっている人たちが主体的に活き活きとしていく、このことがこれからの社会にいかに必要なのかを再認識しました。

地域力低下は母島だけの問題でなくて、日本全国で問題になっているそうです。

母島部活堂が起こしている活動が、その問題を解決するヒントを秘めている気がしてなりません。

 

もちろんまだまだ課題は沢山ありますが、この活動を地道に続けて行こうと思いました(*^_^*)

 

 次週のコラムは内地の運営メンバーでもあるmakesの後藤さんにバトンを渡します。

テーマはズバリ「2019年開始当初の母島の宝島事業について」です!

(母島/ジャイアン)